自意識の海。

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自意識の海。

ここは、自意識の海。

机上の空論。

雑記

 

 

昨今は差別と好き嫌いの境界線が曖昧になっている。差別的だからと、過度になにかを自粛したり、差別を無くそうと過剰なポジティヴキャンペーンに努めたり。

 

…何かを嫌ってしまうというごく自然な感情によって、無碍に罪悪感を感じたりしてしまうこともあるのではなかろうか。

 

まず、博愛主義なんて机上の空論だと思うのだ。誰にでも、嫌いなことがあって、その先に嫌いな人がいる。

 

…嫌いという言葉はあまりに強いから、この先では苦手という言葉に置換しようと思う。

 

誰にでも、と言った。ぼくだってそうだ。できることなら人類みんなのことを好きでいたい。差別だなんて、無い方が良いに決まってる。

しかし現実問題そうはいかない。有色人種、ユダヤ人や同性愛者、そして女性への差別は未だに現代に残っているだろう。

 

小学生のとき、ドイツ旅行へ行った。

旅先で色々案内してくれたガイドさんは戦前ナチスに傾倒していたお家柄らしく、未だにユダヤ人を見かけるとモヤモヤする、というようなことを言っていた。

それか現実だ。誰にでも、ある種の苦手意識を抱いてしまう対象はある。

 

しかし、それで良いんだと思う。

良い、というのは、決して苦手意識を持つことが正しいと言っているわけではなく、自然な形、然るべき形であるということだ。

 

問題なのは、苦手意識の先に差別意識を持ってしまうことである。

すなわち、例えばユダヤ人が苦手、黒人が苦手というのは、人間ならば抱き得る自然な感情だ。もうこのレベルの感情をどうこうしようというのは、いやなかなか無理な話だ。

だが、この先にもし“ユダヤ人だから人権を与えない”、“黒人だから人権を与えない”というような発想に至ってしまえば、これは直ちに正すべきだろう。

 

 

差別は良くない。これは道徳的な常識。

好き嫌いは良くない。これも道徳的な常識。

 

 

大切なのは、自分の中にある好き/嫌いの感情を受け止めた上で、「正直苦手。でも共存しよう。」というスタンスだと思う。